インタビュー - July 24, 2019

天の川、最上川。見上げる光の世界。
石井抱旦インタビュー


「自分らしく、生きる」書家をご紹介していくPURE SHODOのインタビュー第1回目は、前衛書家として長年活躍し、近年は「COSMOS」シリーズで現代アートとしても高い評価を得る石井抱旦氏にお話を伺った。石井氏は展覧会の企画も多数手がけ、特に2008年から開催する『Ten・ten』展は、「書の枠」を悠々と飛び越える書家たちが全国から集結し、実験的な作品を発表する刺激に満ちた場となっている。11年目の今年は前衛書と伝統書という、書の世界の両極から先鋭を走る書家を集めて『両極の書』展として6月に開催(YouTubeで展示の様子やギャラリートークなどをご覧いただけます)。作品の素晴らしさはもちろんのこと、見る人、書く人双方に「両極は相通じる」という発見を促し、大きな成果を上げたばかりだ。今回のインタビューでは、近作「COSMOS」制作の背景について語っていただいた。



石井抱旦 毎日書道展の出品作の前で
石井抱旦氏 毎日書道展の出品作の前で

Profile
石井抱旦 いしい・ほうたん
1947年山形県寒河江市生まれ 茅ヶ崎在住。毎日書道展審査会員。宇野雪村水越茅村に師事し、1970年頃より前衛書家として活躍。1980年から海外展に出品し、ヨーロッパ、アメリカ、アジアを巡回。1990年毎日書道展グランプリ受賞。2008年より毎年『Ten・ten』展を企画開催。2017年にNAU21世紀美術連立展で奨励賞を受賞し、翌年企画個展開催。2019年『両極の書』展を横浜赤レンガ倉庫にて開催。 


ーー 今日は楽しみにしておりました。さっそくですが、以前からお聞きしたかった質問から。石井さんが前衛書と出会われたきっかけについて教えていただけますか?

書道は大学を卒業して小学校の教師になってから始めました。板書の字が下手だから勉強しろって言われてね。それで、地元茅ヶ崎の水越茅村先生に書を習い始めた。

水越茅村は上田桑鳩の弟子だった人で、毎日書道展に前衛書部ができて第2回の時にグランプリを取っています(1959年のこと)。第1回目は該当者なしだったんですよ。そう、すごい人です。そんな先生に習い始めて2年目の時、「やってみろ」と言われて書いたのがはじまり。その時いたのは3、4人で、みんな学校の先生。6畳一間をビニールで天井まで覆って、三六(サブロク)の紙(90cm×180cm、一畳の大きさ)を真ん中に広げ、それで「線1本引いてみろ」って。「どうやるんですか」と聞いたら、「1秒でバーっと書くんだ」と言って見せてくれた。やってみたら快感でね。それで「次は丸書け」って、今度は丸を1つ書く。やみつきになりました。今もその時書いたものが残っていてね。あの時のことは鮮明に覚えています。

先生は書道は彫刻だと言っていました。彫刻は石を切って彫るマイナスの仕事でしょ。反対に、塑像は粘土をくっつけるプラスの仕事。書は墨で書く。1回失敗したら終わり。白い空間をどうやって区切っていくか、削るか。「空間を切るんだ! なまぬるい線で書いたら切れないぞ! 彫刻みたいなもんだ!」と教えられました。白いところに黒を足すからプラスのようだけど、頭の中ではマイナスの仕事をやっているんです。裏表の関係だと言えますね。

ーー かっこいいですね。1970年頃ですよね。50年前とは思えません。書道を始める前はどんなことにご興味があったのですか?

高校の時は美術部で絵を描いていました。子供の頃から合唱もやっていたので、音楽部も掛け持ちでした。大学は本当は美大に行きたかったのですが、東京の某大学に進学し、教育学部で教員免許を取りました。大学は文学部歴史学科日本史専攻。大学名は言わないよ。ほとんど授業に出てないんだから。僕は「団塊の世代」なんですよ。 でも学生運動はしていなくて、ノンポリでした。当時、授業はボイコットされていて、僕は毎日バイトバイト。インスタントラーメンが発売された頃で、20kgの粉の袋が流れてくるのを一晩中積み上げていたの。バリケードじゃなくてね(笑)。夜の仕事のいいところは、夜食が出ること、粉だらけになるからお風呂に入れること、朝ご飯も出ること。そんな仕事をしていたから昼は動けないよね。卒論は60ページ必要で、最初の1ページ目だけはちゃんと書いて、あとのページは3日間かけて「いろはにほへと」と書いて出した。今みたいにパソコンもワープロもなかったからね。先生も分かってて、よし、と受け取ってくれた。そういう時代だったんです。

就職は神奈川県の採用試験に受かった。社会科教師としての合格通知はきた、でも採用通知がこない。僕自身も3月中に卒業できなくて、4月何日か付で卒業した。就職までの間は道路の線引きのバイトをしました。採用通知が届いたのは4月15日。急に「茅ヶ崎に来い」と言われてね。地方から出てきた人が地元に採用されて帰り、その席が空いたんだって。今だったら考えられないけど、当時はそういうおおらかさが残る時代だったの。

 

石井抱旦「COSMOS ー呼吸するー」2019 部分
石井抱旦「COSMOS ー呼吸するー」2019 部分

 

ーー 小学校の校長先生をされていたと伺っていましたが、最初はそんな風にキャリアを始められたんですね。ところで、今年の毎日書道展も「COSMOS」の作品を出品されていましたが、「COSMOS」って宇宙のことですよね。宇宙にご興味を持たれたきっかけは?

僕は山形県の寒河江(さがえ)市の出身で、夜空は満天の星で天の川が見えるような環境で育ちました。宇宙にはずっと興味を持っています。子供の頃から本が大好きでね、図書館の本を片っ端から読んでいました。カール・セーガンの『コスモス』という本を知ってますか? カール・セーガンは亡くなってもう20年ぐらい経つかな。その本に宇宙人が存在する確率を計算する方程式が出てくるんです。ドレイクの方程式っていう有名な式なんですが、教員時代はそれを子供に教えたりしていました。分数の計算だから、子供でも理解できるんですよ。それから地球と惑星の距離を学校のグランドを使って、地球をゴルフのボールとしたら、さあ、月や火星の位置はどの辺りだろう、ってね。

僕の「COSMOS」は、光だけを描いています。それは宇宙でもあるし、子供の頃に見た世界でもある。たぶん小学校2年生の時、学校の体育館で宮沢賢治の『風の又三郎』の映画を見た。暗幕を引いて真っ暗な中、風が吹いてきて、マントがパーっと広がる。今思うと抽象的だし、妖しい世界です。それから川の底の光の世界。これわかる? 僕の家は最上川のほとりなんです。最上川は100mぐらい幅がある大きい川。浅いところも深いところもあって、よく泳いだものです。潜ったり、魚捕ったりね。流れは早い。潜って上を見たら水面をへびが泳いでいたことがある。キラキラした光の中を蛇がくねくねと泳いでいった。それから川の中から蜂の巣目がけて石投げて、みんな潜れーっていたずらしたり。道具を使わない魚の捕り方を教えようか? 魚は石の下に隠れているから、その石に石を投げると気絶する。それを掴めばいいんだよ。アブラゼミは串に刺して炭で焼くの。アブラゼミがセミの中で一番おいしかった。カリッとしててね。父には一度に10匹以上は食べるなと言われていた。耳が聞こえなくなるって。迷信でしょうね。すいかをその辺の畑でとって食べたり。こうしたことをそのまま描くと絵になる。でも僕は光だけを描く。妖しい世界を。

賢治の世界は抽象的です。クラムボンとかも何かわからない。暗闇と光だけの世界。宇宙の話も多いしね。教師の時の恩師が宮沢賢治の研究者で青木照明さんという方なんですが、この前講演会があったんです。その時に、賢治の『やまなし』という短編に挿絵を10枚ほど制作しました。

 

石井抱旦 「シュールな二人三脚」 2019
石井抱旦 「シュールな二人三脚」 2019

 

ーー あの「COSMOS」シリーズにはそんな背景があったのですね。挿絵、ぜひ拝見したいです。最近はまた新しい作品を制作していらっしゃいますよね。

これね。(見せてくださる)。技法的におもしろいんだよ。誰にでもできて、やってておもしろい。シュールでありえない形でしょう。こんな体はないし、首もない、足もへんな形。このシュールな形にはまってるんだ。もう200枚ぐらい作ったんです。失敗がないの。なんでも手足をつければ人になる。これからも、他の人がやっていないこと、おもしろいことをやっていきたいと思っています。

 取材ノート インタビュー当日は、新国立美術館で開催中だった毎日書道展(後期I期)の入り口で待ち合わせ。ご存知のように1階から3階まで作品がびっしりと並ぶ広大な会場を、素敵な作品の前で立ち止まっては、この書家はこんな人、この作品はここが素晴らしい、と前衛書の第一人者の解説付きで拝見するという夢のような時を過ごし、私はPURE SHODOを始めて良かった、、と感無量でした。石井さん、楽しいひとときをありがとうございました!

聞き手・構成・写真:吉末真由美