INTERVIEW - August 10, 2019

「愚公移山」、まだこれから。時代を変える夢を叶える。
小川移山インタビュー


「自分らしく、生きる」書家をご紹介していくPURE SHODOのインタビュー第2回目は、書家・美術家・表現教育家として、自らの信じる哲学を貫く小川移山氏にお話を伺った。7月に個展を終えられたばかりだが、昨年は個展を4回も開催したとのことで、今年もハイペースで作品制作に挑む。今年2019年は小川氏が書塾を開設してちょうど50周年の大きな節目の年。主宰する教室を見学させていただいた後、長年、書に純粋に向き合ってきたからこそ持ち得る、研ぎ澄まされたその書道哲学を、来し方を振り返っていただきながら存分に語っていただいた。(タイトルの「愚公移山」とは、小川氏の雅号の由来で、何事も根気よく努力を続ければ、最後には成功することを例えた「列子」からの言葉)

 



小川移山氏
小川移山氏



Profile
小川移山 おがわ・いざん 移山workroom
1946年栃木県那須烏山市生まれ 埼玉県入間市在住。書家・美術家・表現教育家。1969年に書塾を開設し現在に至る。1987年より無所属。「生活に活きる書」を提唱し独自の指導を展開。1997年よりチェコで個展や書道のワークショップを開催し文化交流を推進している。2005年に画家田中芳氏と出会い、現代アートを志向する。2015年に合成紙のリペルペーパーに出会い、作家としての新境地へ。現在はライフワーク「断像」作品を世に問う個展開催と「初心学舎」を主宰して子供から大人まで幅広い年代の方々に心を解放する表現教育(書・造形他)を実施。ペニンシュラホテルや椿山荘等にも作品を納入している。




ーー 教室では小学2年生のお子さんが大人に混じって素敵な作品を作っている様子が印象的でした。また、みなさんに繰り返し「生活に活かす」ということをおっしゃっておられましたね。


墨を使ってアートする



私の教室では、みんなが1つの方向を向くのではなく、一人一人自分のやりたいことが実現できるように心を配っています。うまい下手は重要ではありません。みんな違うということがすばらしいことで、本人が「いいな」「好きだな」と思うことが大事なのです。最初はわからなくても、続けていくうちに、「書いていると気分が良い」「自分の今の状況に合っている」ということに気づくようになります。

古典から学びますが、「客観的に良い古典」というものはありませんね。拓本は石に彫った時点で実際の書からは離れ、時代を経ることで風化し傷もでき、さらに離れていきます。ですから、「私にはこう見える」、「私はこれが好き」ということが大事なのです。そしてその捉え方はみんな違って良いのです。また指導者は学ぶ 人にふさわしい古典を探してあげることが大切です。

どのような古典を学ぶにせよ筆毛の開閉捻転によって文字が出来上がるわけですからそれを体得すること即ち用筆法習得という書道の肝要は変わりません。スポーツでも種目は何であれ身体の動きは腰が要となります。

いつも、「自分らしい字を、その時の自分にしか書けない字を書こう」と言っています。 その人らしくないと意味がないのです。生活の中に活かすために、自分の人生のために書道を学んでほしいと思います。因みに生活とは生命活動のこと。書道を通して、生命の躍動を感じ、生きる上で必要なバランス感覚を磨き、自分の好みを知る等々自分探しをしてほしいと思っています。

例えば、「分間布白(ぶんかんふはく)」という言葉があります。これは、字を書く時に文字の中の空間をバランス良く取ろうね、という意味で使われる言葉。「習字」ではこれをパターン化した美しさとして教えますが、本当は他人が決めるようなものではありません。いかに自分に心地よい間合いを取るか。これは書を書く時にも言えるし、人と人との距離感においても言えることです。空間の取り方はその人の癖となって出てきて、磨かれてその人だけの個性そのものとなるのです。

また、「墨は五彩を表す」と言います。墨を磨ることは好みの色合いや滲み方を知ることにつながります。なぜ濃墨で書くのか、淡墨で書くのか、その時の心に合った色を探す。もちろん墨汁を水で薄めてもそうする意味が有ればそれで良いわけですが、心を込めて自分のために磨った墨色には、その人の気持ちが現れてきますし、線も光も違います。心が入り、その時のその人が出てきます。

自然でおおらかで、人を包むような作品ならすばらしい。良い字とうまい字には違いがあります。器用にうまくかけたからといって、人を感動させるわけではないのです。

アトリエにて
アトリエにて



ーー すばらしい理念だと思います。大学時代に書塾を開設されたとのことですが、当初からそのような方針で指導してこられたのでしょうか?

私は栃木県出身で、実家は商売をしていました。だから大学は経済学部を選びましたが、それは親を納得させるため。本当は実家を出られれば何でも良かったんです。実家のある町は、滅多に帰らないけれど、今でも静かな田舎町。ここで一生を終わるのは嫌だという思いが一番強かった。学生運動の時代でしたが、自分探しを優先していました。いろいろなアルバイトをしながら、どう生活していくか真剣に考えていた。卒業後に就職する自分はまったくイメージできませんでした。その頃友人に書道の先生を紹介され、助手を始めたのがきっかけで、20代の半ばに、アパートの一部屋を教室に、もう一部屋を住まいにして独立しました。生徒はすぐには増えないから、家庭教師、ラーメン屋さん、レンズ工場などでも働いていましたよ。

私は、自分が100%納得する形というものを必要としていたんです。それがたまたま書だった。振り返ると、高校時代も書道と音楽が好きで、「オレの時間がやってきた」なんて思っていましたね。でも本も好きなので、そちらに縁があったならまた違う人生だったかもしれないとは思います。

当時はそろばん、書道の塾に通うことが当たり前な社会環境がありました。その中で、「元気ではつらつとした字を書こう」と指導して展覧会に出品していました。厳しく熱心な指導方法が喜ばれましたね。生徒たちはみるみる上達し、書初め大会などで大賞をとったりして教育的才能を発揮(笑)。毎月ハイキングをして、それが楽しいとさらに生徒が増えてね。多い時で300人くらいいました。そうして41歳までは、書の世界で教室を増やし実績を高める方向を向いて生活していました。それが、時代が変化し、徐々に違和感を抱くようになってきたのです。

ーー どのような違和感だったのでしょうか?

それまでは喜ばれていた指導が、一部の人にしか喜ばれなくなったのです。厳しく熱心に指導すると、厳しさに耐えられない子供が増えていき親も子供に同調する。私の中で一番大切にしていた価値観が通用しない時代となっていった。気が付いた時にはもう以前と違っていて、その変化についていけない自分がいました。俺は一体何のためにこの仕事をしているんだという思い、本気を出せない、本気になれないという葛藤。自分のあり方が変わっていくという経験でした。ちょうどバブルの頃だったでしょうか。そしてバブル崩壊と精神崩壊が同時でしたね(笑)。

ーー プロフィールを見ると、87年に無所属とあります。そのことと関係がありますか? 「精神崩壊」をどのように克服されたのですか?

未熟な自分をとことん見つめたということに尽きますね。身体も壊しました。見栄を張って生きてきた自分が音を立てて崩れました。元々組織の中で生きていくタイプの人間ではありません。一人になりました。そこからまた歩いていこうという意思を持ちました。暗中模索でした。時間がかかりました。

ーー それが現在の指導方法へと繋がるのですね。

どこまでも目の前の、一人の人間のための指導が大事だということの再確認です。以前はそれを私の方へ引っ張り込むような激しさ強さでやっていた。その結果どんどん上手くはなる。手本に近づく上手さが目標でした。競書誌で小学4年生が師範になったりもしました。

今は絶対相対の話をよくするんです。用筆法は根本です。それを文字の書き方と勘違いしている人が指導者も含めて余りにも多い。用筆法は文字の書き方ではなく筆の用い方です。その訓練の応用として文字の書き方があります。ここが大事なところ。用筆法習得は絶対条件です。応用展開は個々人の好み等によって変わりますから相対条件です。用筆の根本が分かれば書の本来の楽しみや価値が分かるんです。ですからその根本大事には従った方が得をします。好みの問題ではありませんから。

また書は展覧会で入選入賞するためにあるのではない。展覧会を否定するのでは毛頭ありません。書の深い楽しみや味わいはそういうことではない。生活の中で書を学ぶ価値を感じとると生活そのものの活性につながる喜びが生まれます。うちのメンバーの殆どは趣味で書を楽しむ方ですから、用筆の根本を外さず自分らしい豊かさを愉しむという本来の楽しみ方が実現できるんです。もっとも展覧会出展を希望する方にはそのための指導もします。

展覧会に関しては、初心学舎として3年に一度銀座の鳩居堂画廊で「初心展」という社中展を続けてきました。書道展はつまらないと巷間囁かれている中でこんな楽しい書道展初めて見たとよく言われています。個性の花が満開になります。

宮本武蔵が剣道において物事に動じない平常心を説いたように、書道も強さとしなやかさ、やさしさが重要なのです。すなわち、生きているということ、どう生きたいのかということです。自分を解放し、人間の可能性を広げて豊かに生きることを実感できるのが書です。武器は筆と文字。それを使って自分を表すのです。最後まで命が息づいていて、切れば血が出るような、生き生きとした線を書く。呼吸で自分の気持ちを表現する。一歩一歩を歩くように筆も紙の上を歩く。寂しい気持ち、楽しい気持ちを文字の意味ではなく、文字のリズムとして表す。生きることは書くこと。書道とは文字を書くことですが、それでも単なる文字の世界ではなく、人間の心の世界なのです。

「断像2016 S-1 流転」2016年
「断像2016 S-1 流転」2016年



ーー 本当に深いお話ですね。近年は書ではなく現代アートを発表しておられますね。どのような変化があったのでしょうか?

私も以前は、文字表現の中で新しい表現を創ろうとしていました。しかし、徐々にこだわる必要がないように思えてきて、アートとして表現すれば良いと考えが変わってきました。書の文字性についてはよく話に上りますが、文字と非文字、一方を否定すると自分の世界を小さくします。何のために文字を書くのかを考えずに議論するのは、目的無しに手段だけを議論しているようなものです。文字でも非文字でもどちらでも良く、自分の表現したいことが、文字を使うほうがフィットするなら文字を使って制作して「書です」と言えば良いし、そうでないならば、書ではなく抽象表現やアートだと言えば良いというだけのことでしょう。文字を徹底的に見つめることで、文字の背後にある抽象性が見えてくる。文字そのものを突き抜けた時には、書のあり方そのものも解体されていくはずなのです。

ーー 先月個展を終えられたばかりですが、今後の展望をお聞かせください。

新しい時代を作りたいですね。ええ、これからですよ。葛飾北斎の言葉()のように、いよいよこれからが本番だという気持ちです。ホップステップジャンプで言うと、ステップに少し入ったところが今。リペルペーパーと出会ってからまだ4年しか経っていません。4年間で個展を9回やりました。去年は4回やった。凄まじい勢いで変化しているとよく言われますが客観的に見ると確かにそうなんですね。それは自分にとっての必然の帰結ですが。まだこれからいろいろな経験をし、展開していくつもりです。

)「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。(Wikipediaより抜粋)」 

  

 取材ノート 今年の春に展覧会で偶然お会いしてお話をしたことからこのようなお付き合いをさせていただくことになり、ご縁だなと感じています。書家として50年ご活動されてきたお話はとても深く、一言一言が勉強になります。さらに、「エポックメイキングする」、「これからが本番だ」という言葉、本当にワクワクしました。今回は小川さんの書への思いを中心にまとめましたが、書き切れなかった内容は、また改めて続編として記事にさせていただきます。当日は教室の取材からインタビューまで、長時間お付き合いいただき、ありがとうございました!

聞き手・構成・写真:吉末真由美